学校教育に関して

愛国心」とは「国」を愛する心ということなんだろう。で、「国」って何だ?
・ 政治的権力構造
・ 伝統、文化
・ 国民
位か?

戦前の場合で言えば、権力構造の頂点に伝統をよりどころとする皇室があったわけだから、権力構造=伝統、文化でここが不可分になっていて、これを愛することが求められて教育の場でそれを実現すべくやってきたというわけだ。結果、飼いならされた国民はヨーロッパのように市民革命を起こすこともできず、従順に体制の言いなりになって、戦争の遂行を支え、特攻機に乗らされ、原爆を落とされると言う羽目になってしまったといわけだ。もちろん反対の人もたくさんいたのだろうが、戦前はポーランドのようにそれなりに警察国家だったので、反対も言いにくかったのだろうというのはわかるが、教育の場で叩き込まれた滅私奉公的愛国心が戦争の遂行を始めとした好き勝手な政治をやりやすくしたというのはあるだろう。
歴史の本とか読んでみると、戦前は「権力構造」のプライオリティが異常に高く、相対的に「国民」の重要度が異常に低かったのを感じる。資源も技術のない貧乏国だから仕方ないと言ってはなんだけど、戦争のときは補給を軽視し、兵士の犠牲もあまり気にせず、最後は特攻だもんなぁ。沖縄戦東京大空襲による各民間人10万人単位の犠牲もあまり気にした雰囲気はないし。戦死者数を見る限りでは、太平洋戦争は敵を殺したというより自国民を殺したような戦争だからねー、せめてもう少し早く降伏していてくれればと思います。
権力にとって国民は権力を支えるためのコマだっただけなのだろう、そして、あんたはコマだからお上の言うとおりに死ねと教えたのが愛国心教育なんでしょう。
国民軽視と愛国心教育ってけっこうセットになっていて、近所では中国とか北朝鮮とかが代表的。朝鮮戦争のときの中国義勇軍ってすごかったらしく、ろくに銃も持たず国連軍の陣地に突撃して機関銃に撃たれてばたばた倒れるらしいんだけどその後もどんどん突撃するらしい、何でかっていうとその後ろでは味方の督戦隊が銃も持っていて突撃しないと後ろから撃たれちゃうから!前からも後ろからも撃たれる兵隊って相当かわいそうです。また、愛国心とはちょっと違うけどイスラム過激派も似たような面がありますね。

そんなわけで、愛国心など教えるのは止めて欲しい。子供の頭は柔軟すぎるので批判なく吸収しちゃうところがあるからねぇ。隣人や隣人の隣人を愛する心はぜひはぐくんでもらいたいところだが、国民を愛さない政治機構や、国民を愛さない歴史伝統を愛して欲しくはないものだ。政治機構に関しても、本当に国民のための政治がなされていて、幸せに暮らせていれば国民に自然に愛してもらえるでしょう。


あと、愛国心教える時間があったら、もっと勉強教えろというのがある。公教育で愛国心とか道徳教えるのに時間使っていたら、その分勉強する時間が減って、塾にいく子や私立の子ともっと差がついて格差の再生産につながるじゃあないですか。教育レベルを高めるのは生産性を高める上では効果的だと思うので、学校ではもっと勉強を教えて欲しいと思う。ゆとり教育なんていらないからもっと勉強詰め込んで、労働者の生産性を高めて豊かな国を作って欲しいと思う。落ちこぼれには落ちこぼれなりに別コースで詰め込めばいいのではないか?
生産性を高める上で効果的なのは直接的には英語、頭を鍛えるという意味では数学じゃないかな。数学は、できない人には限界があるので難しい面もあるだろうが、英語はだれだってもっとやればレベルを上げることができるだろう。ビジネスの上でも直接的に役に立つ勉強なので、格差の解消にも有効な教科じゃないですかね。

道徳心っていうのも嫌い。道徳とかモラルとかマナーって、細かく明文化されてないだけに、各人の線引きがあいまいになっちゃうじゃないですか。で、俺的にはOKでも君的にはNOということでトラブルの元になる。
道徳とかモラルとかマナーってはっきりした民主的な手続きを取っていないので、なんで従わなきゃいけないの?って思う人が多くなるのも当然だし。あいまいな道徳とかモラルとかマナーはトラブルの元です。
そんなややこしくてあいまいなこと言わずになんでも明確にルールにしてそれに基づいて裁けばいいと思うんだよね。それが罪刑法定主義だ。


そんなことより今教育で一番問題なのは「いじめ」なんだろうけど、これは法律に基づいて警察力で対処することがまず効果的だと思う。無視等の陰湿ないじめには対処できないだろうが、暴行や恐喝を行う子供は即オリの中に入れちゃえば、こういった悪質ないじめは学校から簡単になくなるのではないか?上履きを隠された場合も窃盗でオリに入れればいいのではないだろうか?無視位は我慢できる子供になってもらわないと困るので、それでかなりの部分問題解決じゃないですか?思いっきりオリが足りなくなりそうですが、急いでたくさん作りましょう。
学校の対処に期待しても、学校の対処って意味のない話し合いか手続きもなにもない私刑に過ぎないので、実効性にはあまり期待できないような気がする。僕が学生のころよく教師に殴られたが、いつも理不尽な思いでいっぱいになるだけだったなぁ。あれは本当に私刑で、気分次第で生徒を殴っているだけだったからね。おかげで幼い僕は法律って何だ?と思ってしまい順法精神を失ったのです。こういう教師も即暴行や傷害でオリの中に行ってもらいましょう。
学校に好きなように生徒を処罰する権利を与えてはいけないと思います。登校停止処分等にも学校内での司法的手続きの確立が必要ではないでしょうか?


最後に、「通信制小中学校」があってもいいような気がするんですよね。不登校の子が落ちこぼれることを防ぐことができるし、オリの中のいじめっ子も勉強できるし、放送大学みたいにオンエアしておけば、塾の代わりにもなって、経済的境遇によって教育機会に差ができて格差が再生産されることを防ぐことにもなるのでは?