クリスマスに−宗教は嫌いなのだけど

世の中の宗教ってあんまり好きではないのです。宗教にはまっちゃっている人もあまり好きではなかったり。

宗教って、めちゃくちゃ大雑把に言うと科学的にそれを示す理由はないんだけど世界はこういうもんなんで、合理的な理屈はいいからこうしろっていう体系じゃないですか?

で、信じる以上はすべての物言いを1セットで信じなければいけないようになっている。部分的にも自分で考えちゃだめ。熱心な信者になると、宗教的に規定のある部分では何も考えず、正しいとされていることをするのだけが人生みたいな。
合理的に考えることがあまり問題にされないというか。


現実の世の中で救いのない人であっても、上手く信じることができれば精神的に救われ、その人なりに幸せになれるという機能に価値があることは認めますが(格差社会においてはこれって結構重要かも)、人間が考えないと社会も進歩しないと思うし、合理的に考えて選択していかないと、社会は良くならないでしょ。
神頼みしてもプラセボ効果以上には病気は治らないけど、医療処置で治ることはたくさんあるわけなので、宗教に対して合理性はたいていの場合優越していると思う。


それに、宗教って争いがちじゃないですか?各宗教の世界観に相違がある以上、自分たちの世界観を信じれば信じるほど、違う世界観の連中をなんとなく気に入らなくというのはわかる。また、合理性が否定されているから政治的に宗教を利用するということも行いやすくなる。
十字軍、ジハード、日本では国家神道などなど。いやだいやだ。


アメリカ南部の進化論教えるなみたいなのもいやじゃないですか?あれも、合理性否定の最たるもの。


なので、僕はすべての宗教が好きではなく、クリスマスも、初詣も、公明党も、学会以外のほとんどの宗教団体が支援する自民党も好きではなかったりして、極力こういったイベントは何もしないようにしています。今日も普通に暮らします。

でも、世の中がクリスマスで騒ぐことに対しては、その宗教心のなさぐあいがむしろ神を冒涜するくらいのレベルだと思うので、実はそんなに嫌いではないです。

ていうか、クリスマスってむしろ積極的に独身者が姦淫する日になってますよね。いいぞーみんなもっとやれーくらいの気持ちで応援したいと思います。


旧約聖書 出エジプト記20章14節−「姦淫してはならない」(姦淫=結婚してない間柄によるHのこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92